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大島(おおしま)は、響灘と玄界灘の境界部に面する福岡県宗像市の島(有人島)である。筑前大島ともいい、宗像七浦の一つである。
宗像市本土側の神湊港から北西に約6.5kmの場所に位置する。約5km東の海上には地島がある。地島・沖ノ島とともに玄界灘と響灘を分ける島で、島の西側の海が玄界灘、東側の海が響灘である。
面積7.17㎢で、福岡県の離島の中では面積が最大。島の多くは丘陵地であり起伏が激しい。中央部にある御嶽(224m)は島の最高峰で、山頂には展望台と宗像大社中津宮の奥の院にあたる御嶽神社がある。
島の東側には本土との間を結ぶ船が発着する大島港フェリーターミナルがあり、フェリーターミナルのやや南側に大島漁港、北東側に宮崎漁港がある。人家・集落はこれらの港の周辺部に集中している。
(ウィキペディアより)

大島|福岡県宗像市

¥0価格

先日家族で福岡県宗像市の島、大島へ観光を兼ねて食事に行ってきました。大島は地島・沖ノ島とともに宗像大社の宗像三女神で有名な島です。神湊港からフェリーおおしまに乗って25分で大島のフェリーターミナルに到着。神湊港から15分頃までは船外で潮風に吹かれながら遊覧気分ですが、15分を超えたあたりから風も波も強くなってきます。乗船後半は船内に避難することをお勧めします。
ターミナルに着くとマイクロバスが待っていました。早速乗車し、島観光へ出発!しばらく走ると沖ノ島遥拝所に到着。女人禁制の「神の島」と言われる田心?神の御神体、沖ノ島の宗像大社沖津宮を女性が参拝するために建てられたものです。
次に訪れたのは風車展望所・砲台跡です。九州北部沿岸の防衛強化のために完成された砲台で、当時は4門の大砲が配備されていたそうです。幸いにも一度も火を噴くことなく撤去されたそうです。コンクリートの基礎部分などが残っていて、当時の緊張感を感じることができます。砲台の眼前には風車展望所を望む最高のロケーションです。この時期、周囲にはコスモスも咲き誇りとても奇麗です。
近くには日本海海戦・戦死者慰霊碑があります。日本海海戦は、日露戦争中の1905年5月27日、28日に行われた海戦です。東郷平八郎元帥率いる日本艦隊とロシアのバルチック艦隊とが沖ノ島沖で交戦し、バルチック艦隊を壊滅させた歴史的な海戦です。
最後に宗像大社中津宮を訪れました。宗像大社中津宮は宗像三女神の一女神、湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀っています。境内には七夕伝説が伝わる天野川が流れ、川の左右の丘には織姫神社と牽牛神社があります。
島を巡るマイクロバスの旅はここが終点。ボチボチと民宿の送迎バスが待つフェリーターミナルまで歩いて戻ります。今回、漁師の宿ふじ島さんで食事を予約済。バスは島の山側を走り数分でふじ島さんに到着。お店の外観は民家風で知人宅に来たような気さくな雰囲気です。早速食事する部屋に案内されました。畳敷きで欄間のある部屋に通されると室内にはテーブルと椅子が置かれていて、どうやらここで食事するようです。畳にテーブルと椅子で食事というのは慣れませんが、なるほど座布団に座って食事するよりも景色が楽しめて解放感もあり、テーブル席で正解だなと思いました。
メニューは既に予約しておいたランチメニューの煮魚セットと焼き魚セット。さすが漁師さんが経営する民宿の料理、どの料理も大変美味しく、ここまで来た甲斐があったなと思わせます。
お腹も膨れ、大島を満喫しフェリーに乗船して帰路につきます。予定外でしたが、ついでに宗像大社に寄って行こうということになり進路変更。宗像大社はちょうど七五三と菊祭りで沢山の人手で賑わっていました。お参りを済ませ菊の花をしばし愛で、定番の饅頭を買って自宅へ向け車を走らせました。
ドライブして、フェリーに乗って、マイクロバスで島巡って、食事して、宗像大社に参拝して、饅頭買って・・・充実した一日でした満喫したなぁ(*´▽`*)

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